発想は大事、かも。

私自身、発想(アイディア)は大事にしたいと常々思っている人間である。


以下のエントリは、発想を完全否定するものではありませんが、大事なところだけ使えればよく、一事が万事考え込むようではいけないという話だと理解した。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50895112.html


もちろんそれも一理ある。
実際、どうでもよいことはWebで調べた範囲で回答できるものばかりであるし、常の自分もそうしている。


しかし、こういう書き方では、発想すること自体が不要であるかのように見えてしまう。
それはよくないのではないかということでちょっと反論を書いてみることにした。

ClassRoom

奇しくも今日読んだのだが、今月のジャンプSQ.では雷句誠の読みきり「ClassRoom」が掲載されていた。
未読の方のために詳細な内容は触れないが、発想はコンピュータにはできない、人間に与えられたものということが描かれていた。


本などで得た「知識」を、別のケースで応用できる「知恵」に昇華させるのは「発想」なんだということを、改めて教えられた気がした。

車輪の再発明

車輪の再発明はするべきではない。特に仕事ではそうだろう。
顧客に収めるのに支障がないライセンス形態であれば、オープンソースのコードを利用して短期間で開発するような事も必要だと思う。


しかし、車輪の再発明自体、無駄と切り捨てる事には異を唱えたい。


確かに、車輪の再発明は社会の役には立たない。
しかし、それまでの思考の経緯は、別の場面で応用が利く事もある。
なにより、世の中で使われているアレと同じものを自分でも作れたというのは、自信となることも多い。
だから、自分の役には立っているのではないか。そう思うのである。

若いうちは天才を目指してもいいじゃない

納期に間に合わないというのはちょっと困るかも知れない。
しかし、そうでないならば。
ちょっとくらい若者に時間を与えたっていいじゃない。
若いうちから、知識の活用を行う秀才タイプに走る必要はない。
自分の発想であっと言わせられる様な天才タイプを目指してもいいんじゃないかな?

と、私は思う次第。

とはいえ、私みたいに30過ぎても凝り固まったりしてては駄目だと思うけどね。